隠居生活

だいたいひとりでこじらせてます

「この世界の片隅に」感想文

この世界の片隅に」観に行きました。

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 情報量と与えられる感情が多くて、見終わった後はぼんやりしていて、頭の中を整理する時間が必要なほどでした。すごい作品を観に行った…。本作品の大きなテーマは「すずが自分の居場所を取り戻していく」ということなんでしょうけど、それはもちろんですけど他にも盛り込まれているディティールがものすごい量で、これは整理しておきたいなと思って書くことにしました。

映画の内容にがっつり触れてるのでネタバレが苦手な人はご注意ください。

 

 

「戦争アニメ」というより「日常アニメ」

 物語は主人公すずが幼いころ、人々が機会にあまり頼らない素朴な性格を営んでいるところからのスタートします。この辺りは戦争というより「昔」の雰囲で、気昔の生活がどのようなものであったかが具体的にわかるのが面白かった。街中にサンタクロースに扮する男性が普通にいてふふっとなったり。

 主人公のすずがごく普通の女性だからかなのか、フォーカスされているのは戦争というより当時の日常や生活スタイルだったように思います。天然ボケのすずだが主婦の仕事っぷりはなかなか面白い。物がなかった時代、不便だからこそ近所の人たちが助け合っていた時代。バイオリンを奏でるごとく料理をするすずがかなり印象的でした。

 呉という舞台ならではの、出征しない若い夫婦の描写って本当に新鮮だったし瑞々しい描き方でした。内地勤務の法務武官の生活を描くのって初めて見た気がします。 

 戦争という題材ですが過激な描写で泣かせるわけじゃないんですよね。日常描写が楽しい戦争作品って本当に珍しいと思います。

 

 そして綿密な現地取材から成立するまるでタイムスリップしてきたかのようなリアリティある世界。やはり驚いたのは映画に登場するモブは実在した人物だということ。

 

 

 正直な話、背景の1シーンだとか登場人物のファッションなんかは、あくまで作品の面白さとは直結しないし見てるほうにも伝わらない事です。そこにここまでこだわって、時間を割いてまで調査する意味とは一体何なんだろう。

 

 その理由はこの記事を読んでわかりました。

konomanga.jp

 

 >大事なのは、間違いが許されないということなんですね。「戦時中もの」は、まだ生きている人がいて確かめてくれる人がいるので、ウソがない作品にすることに気をつかいました。(こうの氏)<

 

>これまで「日常生活の機微」を描きたいと思い、『マイマイ新子と千年の魔法』などの作品を手掛けてきました。
この世界の片隅に』は、“戦争・戦災”と“普通の日常”という対極的なものが存在しあっている世界が描かれています。その対比により、自分が描きたかった「日常生活の機微」がより色濃く見えるのではないかと思いました。(片渕氏)

 

 

 「生活」とは、「生」に密着したものです。生きるには食べること、衣類と住居を得ることが重要となります。そしてそれらを得るためには、他者と交流して助け合っていくこととなるため、やはり他者も重要となります。これら全ての「生活」は、人にとっての「生」そのものといっても過言ではありません。

 そう考えれば「生」をいきいきと表すために「生活」に着目するのは単純で普通のことだったなと。
 作中では実際の戦記はほぼ語られず、当時の民間人が戦況を知り得るはずもなく、日々不便になっていく暮らしの中で折り合いをつけていくしかない。そんな非常時の中でも日常を知恵を出して、一生懸命、そしてチャーミングに生きる主人公とその周辺の描写は素晴らしく、だからこそ、その中で起こる不幸な出来事にも、そしてちょっとした笑い話にも深く感情移入できたんだなと思います。
 「この世界の片隅に」はそんな小さな幸せや喜びの積み重ねがたくさんあって、だからこそ後半の『戦争』がダイレクトにすずたちを襲い始めた下りは、一層重いパンチのように効いてしまうのかもしれません。

 

 

戦闘機、艦船の描写のリアルさ

 舞台が軍港、呉ということもあり、日常描写と同じような熱量で描かれた艦船、戦闘機たち。大和などの有名なものからちょろっと出てきたものまで、作中に出てきたものはすべて実在したもののようで、その取材量に恐れおののくしかないです。

 印象的なのは呉に初めて空襲があった日。

 対空邀撃用の高角砲は成果を認識しやすくするために、爆煙に色が付いていたというのは聞いたことがありましたが、これを実際に表現したアニメは初めて見ました。

 それを見上げ、さらには美しさを見いだし見とれてしまうすず。

 「ああ...ここに絵の具があったなら...」と空想を巡らし、赤や黄を含ませた絵筆を青空にバシャッバシャッと染めていくんです。そう思いつつ「うちゃ、何を考えてしもうとるんじゃ!」と己の不謹慎を嘆くのです。

 この気持ち..正直わかるという気持ちになりました。

 原作では山の木々がらワ〜っと群がって出てくる艦載機ですが、独自の解釈と表現をしてみせてくれている片渕さんの手腕。強く印象に残るシーンです。

 あとやっぱり大和の描写はすごいなと思わずにいられない。書き込みっぷりのち密さもさることながら、描写の仕方もうまい。二回はダイレクトに登場してすずたちの目線を奪いましたが、三度目は間接的な描写でした。洗濯物を干しているすずの頭上を飛行機雲を引きながら通過していくB29。このとき大和は行方知れずで偵察機が行方をさぐっていたわけです。その後大和は4月7日、天一号作戦においてアメリカ軍機動部隊の猛攻撃を受けて沈没したのですが、その様子が一般市民に伝えられるはずもなく、すずが大和沈没を知ったのは5月、海軍病院に見舞いに行った際に聞かされたからでした。

 戦時中、そして軍港の町である呉に住んでいても戦争の様子は市民には一切と言ってもいいほど伝わっていないのもリアルでした。

 

 そして一言「登場した」と言っても、それだけの言葉で済まされないのが、この記事を読んでもよくわかります。

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 >そんなこうの氏と監督の執念が感じられるエピソードのうち、もっとも鮮烈だったのが、呉の港に戦艦大和が入港する一コマに関するトークだ。昭和19年に大和は入港しているのか? 片渕監督は同年の呉港の軍艦の出入りを全てチェックしデータ化した結果、劇中のシーンに一致するのは昭和19年4月17日でしかありえないことを突き止め、当日の天候、気温、遠方の視界などを調べあげ、そのコマが実にリアルに描かれていることを確信する。そのことをぶつけられたこうの氏が「一言調べました」と返したというからたまらない。<

 

 

失われる「普通」、そして「居場所」

 印象的なシーンはやはり出征前の別れに来た幼なじみの哲がすずのところに訪ねにくるシーン。

 艦隊勤務の哲は明日にも戦死するかもしれない身。死が身近に迫っている哲は、すずにこう伝えます。

 

「じゃけえすずが普通で安心した」

「すずがここで家を守るんも、わしが青葉で国を守るんも、同じだけ当たり前の営みじゃ」

「そう思うてずうっとこの世界で普通で…まともでいってくれ」

「わしが死んでも一緒くたに英霊にして拝まんでくれ」

「笑うてわしを思い出してくれ」 

 

“普通”のすずで居てくれ、と願う幼なじみ。
しかし、かつてあった日常と同じだった“普通”は残酷に奪われていきます。

 

 海軍病院へ見舞に行った帰りに空襲に遭い、時限爆弾によってすずは右手を失った。そして晴美を失った。同時に、花や海や船や周作を描いていたすずの小さいながらも美しかった世界は色あせて歪んでいきます。(ここは漫画のほうが顕著なんですが、右手を失ってからの場面、背景がすずが左手で描いたようにずっと歪んでいるんですよね)

 

 しかしなにか悲痛な叫びがあるわけではないです。(もちろんイコール悲惨な出来事が起きてもへっちゃら!という鋼のメンタルなわけでもない)右手を失ったあと、すずを包んだのは諦観でした。自己をまるっきり放棄しちゃったわけです。「喪失感」が生々しいほどリアルで、だからこそ痛々しい。

 

「この国から正義が飛び去って行く

暴力で従えとったいうことか

じゃけえ暴力に屈するということかね

それがこの国の正体かね

うちもしらんうちに死にたかったなぁ………」

 

 玉音放送を聞いた後、すずが段々畑で号泣したシーンの独白。あのおっとり可愛いすずさんの胸の内から「死にたかった」という言葉が出てきたのがショッキングでした。

 

 

 でも「夕凪の街 」の原爆の被害に遭いながらも生き残ったことに後ろめたさを感じながら生きていた皆実のように(注、戦争を体験した人から「自分は生き残った」のではなく「生き残ってしまった」という言葉をよく聞くので、残酷なほど理不尽な死は「ここで生きる」という「居場所」ごと根こそぎ奪っていくのかと思ったり。

 自分の祖父母も戦争の体験者ですが「なぜ自分が生き残ってしまったのか今でもわからん」「生き残ってしまったからには死ぬ気で生きてきたけどそれが正解ともわからん」とよく言っていました。

 失われたのは住居や大切な人々、家族という物理的なものたちだけではなくて、「自分がそこで生きていてもいいという精神的な居場所」の面もあったんじゃないかと。

 

 私が一番、ゾッとしたというか、何とも言えない感情に襲われたのは、すずの近所のおばさんのエピソードです。終戦後、おばさんはすずに淡々と打ち明けます。 

「8月に隣保館の横で兵隊さんが行き倒れとったじゃろが。どうも4月に陸軍へとられて広島へ行ったうちの息子じゃったらしい。…自分の息子じゃと気づかんかったよ、うちは」 

 この場面、おばさんの表情は視聴者には見えません。原爆によって服も皮膚もどろどrろに溶けて、きっと母に会いに自力で呉まで戻ってきただろうに、身元もわからずに母にも気づいてもらえず、その他大勢と共に燃やされた「行き倒れの兵隊さん」が自分の息子だとわかってしまったおばさんの心情は、どのようなものだったんだろうか…。

 

注)「夕凪の街 」

同じこうの史代が描く「夕凪の街 桜の国 」の全編の話です。こちらもすごくいいのでおすすめ。

https://www.amazon.co.jp/%E5%A4%95%E5%87%AA%E3%81%AE%E8%A1%97-%E6%A1%9C%E3%81%AE%E5%9B%BD-%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-%E3%81%93%E3%81%86%E3%81%AE%E5%8F%B2%E4%BB%A3-ebook/dp/B009DYODPM/ref=sr_1_8?s=books&ie=UTF8&qid=1479903996&sr=1-8

 

 

「日常生活を描く」ということ

 前にも書いたのですが、テーマは戦争であってもあくまでもこの作品は浦野すずと北条家の日常を描いた作品だと思っています。後半で戦争が残していったものは計り知れないけれど、それが重々しく響くのはやはり前半のち密なまでの日常描写があってこそだと思うし、徹底的に行われていた時代考証もそれ自体が目的ではなく、あくまで「登場人物たちがいる世界」に臨場感を持たせるための手段。

 「普通なこと」「当たり前なこと」って「人は世界観のどこを見て感じるのか」となったときに、そのキャラクターが生きている世界が自分たちとリンクしていて、それに共鳴できたときに強く感じるものだと私は思っているのですが、その観客側がぐっと引き込まれる仕掛けがあちこちにちりばめられていると思います。

 前半でも描いたのですが、「生きること」を描くにおいて「生活」の様子を見せるのは必要不可欠なわけです。生きている時代は違えど、すずや周囲の人々たちの生きる様子を見て、抱える感情を感じて、「リアリティ」を感じられるのはすごいことだなと。

 

 ラストですずと周作が広島を訪れた際に、母親を亡くした孤児を拾って帰路につくのですが、漫画でのそのときのモノローグがこちら。

 

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 この物語が始まる前に「この世界のあちこちのわたしへ」というモノローグが入ります。これどういう意味なんだろう?って思ったんですが、これ見てなんとなくですが納得しました。

 

 ありえないほどの絶望が重なる中でも、残る人はいるし残るものもある。それを支えに前へ前へと積み重なって、生きていく。それはすずさんだけじゃなくて、時代を問わず『絶望』や『困難』から生き残ってきた人たちはそうやって連鎖を繰り返し生きていっている。変わっていく世界でも変わらないものもある。絶望があっても愛を忘れずに生きている人だっている。そういう『日常』『普遍的な生活』を最後まで書いていたのがこの作品じゃないかなと思います。

 

 

 長々と感想文を書きましたがすごくいい映画だったので気になる人はぜひ!

 

 お粗末様でした。