隠居生活

だいたいひとりでこじらせてます

Reversed Masquerade視聴感想

カフェパレの新曲「Reversed Masquerade」を聴いたんですが「ここ好き!」という箇所がありすぎたのでまとめて書くことにしました

 

★注意★

〇好きなところを抜粋しようとしたら結局全部になってしまったのでネタバレしかないです 

〇めちゃくちゃ長いです

〇歌詞を抜き出しつつ感想書くのでバレ見たくないという人は回れ右でお願いします

 

松井洋平氏、本多友紀氏、カフェパレの声優の方々、その他のスタッフの方々、本当に神曲をありがとうございます……

 

 

 

 

前奏

普段のカフェパレとは違う怪しげな前奏で既に「あ、これやばいやつだ…」となった

ハロウィンソングっぽい雰囲気の曲絶対合うと思ってたので本当に嬉しい!

 

夢の奥の森へと 

最初に巻緒咲がここを歌っているのが「お迎え」感があって好き

迷い込んできたのかい?

最初聞いた時アスランかと思ったけど、ディレクションで「今まで見せたことのない神谷を見せて」という指示があったそうなので「役に徹している神谷」の歌い方なんだと分かって納得した

恐れることはないよ…

東雲歌声がいつにも増して甘くてセクシー

魂まで持て成そう

安定のビブラード破壊光線。中の人の歌唱力は勿論だけどアスランのVo値のお化けっぷりを表現する差し込み方がいつも秀逸だなぁと思う。

 

この冒頭の歌詞の世界観を見ると「普段生活してる中では見えないけど、悩みごとがあったり闇を抱えたりして森へ迷い込んでしまった時、気が付いたらふと目の前に不思議なカフェが現れた…」という感じで、迷い子だけが見つけることのできる店なんだなぁと。そして「迷い子たちのための店」というのはカフェパレそのものだなぁと思いました。なるほど、こういう方面で描写できるのか…。

 

あと歌割りの順番なんですが店のフロント(巻緒咲)から店内(神谷)、そして厨房(東雲アスラン)というのも徐々に奥の方に誘っている感じが出ていてとても好き!

 

Tick・Tack・Nagitmare! Tick・Tack・Night Parade!

Tick・Tack・Nightmare!…Happy Nightmare!

ここの音圧がやばすぎる。何人いるんだろうこれ…5人(サタンも含めれば6名だけど)のはずなのに明らかにそれ以上いるんだが何か連れてきてません?感があって怪しげでよい

 

 

Aメロ

あなたのSecret それはきっとInvitation

今回の東雲の歌い方セクシーで甘くて好きなんですけどキーが低めだからそういう感じになってるのかなぁと思ったり。好き…

手を取ってEscort 甘い奇跡Temptation

巻緒の王子要素を出してきたの感謝しかない

Midnight Masquerade!アスランが楽しそうで何よりです

 

Bメロ

ねぇ、夜をドレスにして星空で飾ったら…Let's have a fun!

ここのフレーズ可愛くておしゃれで好きだし咲ちゃんが好きそう感もあるのが最高だと思う。松井氏は神。

 

Cメロ

We are Monsters! 可愛くなってしまえばいい!

We are Monsters! こうでなきゃなんてありえない!キャラの声で裏声って何やねん…

We are Monsters! 可笑しくたってかまわない!

ここの「We are Monsters! 」、そのまま「僕たちは怪物だよ!」の意味なのか別の意味があるのかで試聴開始時に色々考察が飛んできて面白いな~と思ってたんですけど二番でそのままの意味なのが分かりましたね。(詳しくは後で書くので割愛)

ここの曲調が好きなんだけどドンキー〇ングとか言われてて笑った。わかるけども!あと後ろのジャズっぽいピアノがオシャレで好き。

 

サビ

Amazing!Cause just the way We are!

Only One が集まったReversed Masquerade

Yes!Cause We are what We are!

本当の姿になるのさ!

Ding!Dong!Dang!はしゃぐように

Ding!Dong!Dang!踊り明かそう

 

今まで夜の雰囲気をまとっていたのにサビでいつものカフェパレの解放感と多福感を爆発させてくる本多神

「本当の姿になるのさ!」アスランと咲にユニゾンさせるという神の采配(ここの歌割りの詳細についてはあとからまとめて書きます)

 

 

Aメロ

麗しいPoet...聴かせてよImagination

幻想だってきっと…願い事ってことでしょ?←ここの歌詞があまりにも天才

So,We fall in Dream!

 

Bメロ

さぁ、もっと自由なStep!星屑を振りまいて

ここの変調が好きすぎる…カフェパレの音楽はいつも細かい細工が施されていて曲からして楽しい(歌う中の人は大変そう)

Turn!Turn!!Turn!!!

人数がどんどん増えて行ってクレッシェンドしてく所が好き

 

Cメロ

We are Monsters!あなたに僕らはどう見える?

We are Monsters!仮面を外してしまえば

We are Monsters!あなたの笑顔もよく見える!

 

前半でも触れていますが「We are Monsters!」はそのまま「自分たちは怪物!」っていう意味合いだって言うのが東雲の「あなたに僕らはどう見える?」で明らかになったわけですが、ここのフレーズについて色々な意見があって面白いなぁと思った。個人的な考えとしては「怪物=人間の世界では異端なものとして見られる」という意味なんだろうけど、過去はそのことで傷ついたりしてきたメンバーだけど今は「自分たちが異端である」ということを受け入れた上でパフォーマンスとしてポジティブに昇華してるのではないのかなぁと思ってます。で、それが東雲の楽し気に問いかけるような歌い方に出てると思うんだよ。

 

サビ

Amazing!Cause just the way We are!

VampireでもGhostだっていい

Yes!Cause We are what We are!

本当のあなたをみせてよ!

Ding!Dong!Dang!月明かりが

Ding!Dong!Dang!スポットライト!

 

二番のサビのところで東雲と巻緒という理解者側が「本当のあなたをみせてよ!」と歌っているのが一番の異端側のアスランと咲の「本当の姿になるのさ!」と対になっているようでエモい…(とここで油断してたらラスサビでやられたんですよね)

 

間奏

Parade!Parade!Under the starlight!

Parade!Midnight...Monsters Parade!

多福感あふれるサビからいきなりズドンと低音で落としてくるこの…何?曲の編成すごすぎない?ジェットコースターか?某鼠の国のパレードを思い出す曲の特盛っぷり。そして音圧がやっぱりやばい

 

 

落ちサビ

Shall we dance?ほんのひと時も

最高の瞬間になってほしいから

Please!踊り明かそう 最高の舞台で一緒に!

 

ラスサビ前のしっとり落ち着いたジャジーな感じで曲を楽しむというより歌詞を聞かせる感じのここが本当に好きだし技術としても最高なのでは?そして歌詞を聴かせるためということはここが伝えたいポイントということになり、カフェパレの信条は「ほんのひと時も最高の瞬間になってほしいから」でそのためにカフェパレはアイドル活動やってんだなぁ…としみじみ思わせられる。しっとり歌ってるからこそ最後の全員の「一緒に!!!!」が際立つのもこう…わかってらっしゃる…

 

ラスサビ

Amazing!Cause just the way We are!

Only One が集まったReversed Masquerade
Yes!Cause We are what We are!

本当の姿は最高さ!

 

 ラスサビの神谷パートの「本当の姿は最高さ!」が本当、よくやってくれた感ある。

サビのここのパートを順番に見ていくと、個性的すぎて一般社会からはどうしても浮いてしまうアスランと咲が「本当の姿になるのさ!」、理解者ポジションの東雲巻緒が「本当のあなたをみせてよ!」、そしてカフェパレードという店を創設したいわば創造神的ポジションの神谷がみんな包括して「本当の姿は最高さ!」でまとめてるのあまりにも綺麗すぎる…

 

 

★総括★

ここまでだらだら書いてるのに月並みで申し訳ないんですがカフェパレの世界観、ユニットとしての在り方、メンバーの個性色々、それらが最高に表現されてる曲だなぁと思いました。松井神のキャラやユニットを的確に歌として表現する創造神っぷりはいわずもがななんですけど、その歌詞をのせるレールを作る本多神の神の所業っぷりも凄まじい…そしてそれを声をあてて形にする中の人の技術もよい…神曲ありがとうございました!!!!

 

www.youtube.com

 

 

 

2016年 美味しかったものまとめ

☆食べ物編

・白子軍艦

初めて白子というものを食べたけどおいしかった。ただ癖があるので人を選ぶ。ウニが好きな人は好きだと思う。日本酒との相性が最強。

 

・「たんとと和くら」の牛タン

めちゃくちゃ分厚くて自分の知っている牛タンじゃない…仙台の牛タンってこれがデフォなのか?ジューシーで分厚くておいしい。いつか本場(仙台)の牛タンも食べてみたい。

 

・牡蠣のバター醤油焼き

家族全員牡蠣が嫌いなので一人暮らししてから初めてゆっくり牡蠣を食べれるようになったけど、バター醤油焼きはなんかもう魔の食べ物だった。匂いからして麻薬。牡蠣のクリーミーさとバターの濃厚さと醬油の香ばしさが最強。なんだあれ。

 

・どて焼き

大阪で屋台に行った時に友人におすすめされて初めて食べたけどおいしかった。牛スジとこんにゃくを味噌やみりんで時間をかけて煮込んだもの。大阪では普通に家庭でも作るらしい。(人にもよるだろうけど)

 

・いくらのワイン漬け

醤油漬けも大好きだけどワイン漬けはまた新しい出会いだった。醤油漬けとはまた違ってさっぱりして食べやすいと思う。ワインとめちゃくちゃ合う。

 

・鯛茶漬け

まあ美味しくないわけがない笑。厚い鯛の身がほうじ茶を注ぐことでぐっとしまって最高なんだよねぇ。自分が食べたのはシンプルなやつだったけど、ググったら色んなアレンジ効かせた店が多くて面白い。ゴマだれが主流なのだろうか。

 

・牛骨ラーメン

豚骨ならぬ牛骨。文字どおり牛の骨でだしを取ったラーメン。あっさりしていて、でも脂身がガツンと利いていて美味しい。知らない人のほうが多いと思うけどおすすめ。

 

・お好み焼き

大阪のお好み焼きと広島のお好み焼き、どっちも好きです。うまい。広島焼だとうどんを敷いているのが好き。ちなみに自分で作るときは生地の中に豆腐と長芋を入れて思いっきりふわとろにしておかずとして食べています。人によってアレンジ異なるよね。

 

・馬刺し

初めて食べたけどほっぺが落ちるかと思った。うますぎでしょ。柔らかくてとろとろだった。日本酒との相性も最強。本場は熊本なんですね~食べてみたい…。

 

・アボカドに卵の醤油漬けを乗っけたやつ

半分に切ったアボカドのくぼみの所に卵の醬油漬けを乗せて食べる。めちゃくちゃ美味しい。卵がしっかり味付いてるので特に調味料は必要ない。卵の醬油漬けは黄身を醤油とみりんを混ぜた容器の中に入れてつけておくんだけど、自分はしっかりねっとりしてるほうが好きなので三日漬けてた。

 

・浅草の天丼

しょうゆ味がこってりついててびっくりした。そしてサイズも一つ一つがでかいので食べるのに時間がかかってお店のおばあさんに心配された笑。

 

☆甘いもの編

・スイートポテト

「おいもやさん興伸」のスイートポテト。芋の自然な甘さと生クリームとバターでクリーミーな感じ。芋はしっかり潰してあるからなめらかな触感。なおかつスイートポテトなのに口の中の水分を持っていかれない!初めて食べたとき感動した。

 

・メロンパン

浅草の花月堂のさくさくふわふわジャンボメロンパン。クミちゃんが好きなのもわかる笑。あと「瀬戸内メロンパン」。生地にレモンの皮が練りこんであってほんのり爽やかで美味しいのでぜひ。

 

・揚げもみじ

宮島に行った時に食べたやつです。もみじ饅頭を揚げて串で刺したもの。さくさくしてて普通のもみじ饅頭とはまた違った触感で楽しいしおいしい。

 

・すみれジェラート

宝塚歌劇団に行った時に中のジェラート屋さんで食べたすみれ味のジェラート。ほんのりすみれの香りがして美味しかった。色も綺麗。余談だけどデメルのすみれの砂糖漬けも好きです。箱も可愛いので気になる人はググってみてね。

 

・りくろーおじさんのチーズケーキ

大阪府のみで展開しているチーズケーキ屋さん。いつも長蛇の列で見るたびにうわぁ…と思ってる笑。ふわふわでしっとりのチーズが効いてるチーズケーキで、下のシロップに漬け込んだレーズンがアクセントになってる。

 

・星乃珈琲店のキャラメルりんごスフレパンケーキ

星乃珈琲店で冬季限定で出してるパンケーキ。甘く煮たりんご、冷たいバニラアイスがふわふわのパンケーキの上にのっていて、ほろ苦いキャラメルソールがかかってるのだから美味しくないはずがない。お店の雰囲気も好き。

 

・しょうゆアイス

岡山に遊びに行った時に食べた。バニラアイスにしょうゆがかかっていて、一見ミスマッチだけどしょうゆの塩じょっぱさがアイスの甘さを引き立てていて美味しかった。

 

・クリームたい焼き

ファミマのクリームたい焼き。もちもち生地が最高。カロリーを体が求めている時は買って食べてる。シンプルイズベスト。

 

・パンダ杏仁豆腐

パンダのパッケージが目を引くアレです。見たことある人も多いと思う。プルプルしているのに崩れない。それなのに固すぎず、まさしく「とろりん」と口に溶けて、なめらかな舌触り。さらに濃厚な杏仁の味がする。高級中華料理店で出てきても何らおかしくないレベル。

 

・ローソンの安納芋の純生クリーム大福

そもそも純生クリーム大福は絶対的な信頼を抱いているのだけど、安納芋が入ったら輪をかけてやばかった。なんだあれは…。ダイレクトに甘味の攻撃をかまされる魔の食べ物だった。

 

☆飲み物編

・世界のキッチンから とろ〜り杏

「世界のキッチンから」シリーズ大好きだし信頼度がかなり高いのだけど、とろ~り杏はすごかった。甘酸っぱい杏にシナモン、クローブなどのスパイスがいいアクセントになってて、寒い日とかに飲むとちょうどいい。

 

・フルーツとハーブのお酒

これもよかった。自分が飲んだのは白桃のだったけどほどよく甘く、ハーブも薫っていて、それでいて飲みやすい。あと低カロリー。

 

ゴディバ・チョコレートリキュール

フォロワーさんが呟いていて「そんなものがあるのか!」と思って自分も試したけど、さすがゴディバ、美味しかった…。お酒で割ってカクテルとして飲んでもよし、バニラアイスにかけてリッチさを出してもよし。

 

・麹だけでつくったあまざけ

八海山さんがつくっている「麹だけでつくったあまざけ」。砂糖を使わず麹だけでつくっているから、余計な甘さがなくてすっきりとして飲みやすかった。酒粕の香りが苦手な人でも飲みやすいと思う。

 

・獺祭

日本酒も好きで色々と飲むんだけど結局はここに立ち返ってくる。すっきりしていて飲みやすく、ほのかに甘いから何にでもあう!日本酒苦手な人でもおすすめしやすい。

 

杏露酒

かなり優秀なリキュールだと思う。カクテルのアレンジも色々できるし、杏とはちみつがいいバランスのお酒。個人的には白ワインで割ったのと、ウイスキーで割ったのが好き。

 

今年から独り立ちして色々と自分の足でおいしいものを見つけに行くのが面白かった。

来年もおいしいものに出会えますように。

「この世界の片隅に」感想文

この世界の片隅に」観に行きました。

konosekai.jp

 

 情報量と与えられる感情が多くて、見終わった後はぼんやりしていて、頭の中を整理する時間が必要なほどでした。すごい作品を観に行った…。本作品の大きなテーマは「すずが自分の居場所を取り戻していく」ということなんでしょうけど、それはもちろんですけど他にも盛り込まれているディティールがものすごい量で、これは整理しておきたいなと思って書くことにしました。

映画の内容にがっつり触れてるのでネタバレが苦手な人はご注意ください。

 

 

「戦争アニメ」というより「日常アニメ」

 物語は主人公すずが幼いころ、人々が機会にあまり頼らない素朴な性格を営んでいるところからのスタートします。この辺りは戦争というより「昔」の雰囲で、気昔の生活がどのようなものであったかが具体的にわかるのが面白かった。街中にサンタクロースに扮する男性が普通にいてふふっとなったり。

 主人公のすずがごく普通の女性だからかなのか、フォーカスされているのは戦争というより当時の日常や生活スタイルだったように思います。天然ボケのすずだが主婦の仕事っぷりはなかなか面白い。物がなかった時代、不便だからこそ近所の人たちが助け合っていた時代。バイオリンを奏でるごとく料理をするすずがかなり印象的でした。

 呉という舞台ならではの、出征しない若い夫婦の描写って本当に新鮮だったし瑞々しい描き方でした。内地勤務の法務武官の生活を描くのって初めて見た気がします。 

 戦争という題材ですが過激な描写で泣かせるわけじゃないんですよね。日常描写が楽しい戦争作品って本当に珍しいと思います。

 

 そして綿密な現地取材から成立するまるでタイムスリップしてきたかのようなリアリティある世界。やはり驚いたのは映画に登場するモブは実在した人物だということ。

 

 

 正直な話、背景の1シーンだとか登場人物のファッションなんかは、あくまで作品の面白さとは直結しないし見てるほうにも伝わらない事です。そこにここまでこだわって、時間を割いてまで調査する意味とは一体何なんだろう。

 

 その理由はこの記事を読んでわかりました。

konomanga.jp

 

 >大事なのは、間違いが許されないということなんですね。「戦時中もの」は、まだ生きている人がいて確かめてくれる人がいるので、ウソがない作品にすることに気をつかいました。(こうの氏)<

 

>これまで「日常生活の機微」を描きたいと思い、『マイマイ新子と千年の魔法』などの作品を手掛けてきました。
この世界の片隅に』は、“戦争・戦災”と“普通の日常”という対極的なものが存在しあっている世界が描かれています。その対比により、自分が描きたかった「日常生活の機微」がより色濃く見えるのではないかと思いました。(片渕氏)

 

 

 「生活」とは、「生」に密着したものです。生きるには食べること、衣類と住居を得ることが重要となります。そしてそれらを得るためには、他者と交流して助け合っていくこととなるため、やはり他者も重要となります。これら全ての「生活」は、人にとっての「生」そのものといっても過言ではありません。

 そう考えれば「生」をいきいきと表すために「生活」に着目するのは単純で普通のことだったなと。
 作中では実際の戦記はほぼ語られず、当時の民間人が戦況を知り得るはずもなく、日々不便になっていく暮らしの中で折り合いをつけていくしかない。そんな非常時の中でも日常を知恵を出して、一生懸命、そしてチャーミングに生きる主人公とその周辺の描写は素晴らしく、だからこそ、その中で起こる不幸な出来事にも、そしてちょっとした笑い話にも深く感情移入できたんだなと思います。
 「この世界の片隅に」はそんな小さな幸せや喜びの積み重ねがたくさんあって、だからこそ後半の『戦争』がダイレクトにすずたちを襲い始めた下りは、一層重いパンチのように効いてしまうのかもしれません。

 

 

戦闘機、艦船の描写のリアルさ

 舞台が軍港、呉ということもあり、日常描写と同じような熱量で描かれた艦船、戦闘機たち。大和などの有名なものからちょろっと出てきたものまで、作中に出てきたものはすべて実在したもののようで、その取材量に恐れおののくしかないです。

 印象的なのは呉に初めて空襲があった日。

 対空邀撃用の高角砲は成果を認識しやすくするために、爆煙に色が付いていたというのは聞いたことがありましたが、これを実際に表現したアニメは初めて見ました。

 それを見上げ、さらには美しさを見いだし見とれてしまうすず。

 「ああ...ここに絵の具があったなら...」と空想を巡らし、赤や黄を含ませた絵筆を青空にバシャッバシャッと染めていくんです。そう思いつつ「うちゃ、何を考えてしもうとるんじゃ!」と己の不謹慎を嘆くのです。

 この気持ち..正直わかるという気持ちになりました。

 原作では山の木々がらワ〜っと群がって出てくる艦載機ですが、独自の解釈と表現をしてみせてくれている片渕さんの手腕。強く印象に残るシーンです。

 あとやっぱり大和の描写はすごいなと思わずにいられない。書き込みっぷりのち密さもさることながら、描写の仕方もうまい。二回はダイレクトに登場してすずたちの目線を奪いましたが、三度目は間接的な描写でした。洗濯物を干しているすずの頭上を飛行機雲を引きながら通過していくB29。このとき大和は行方知れずで偵察機が行方をさぐっていたわけです。その後大和は4月7日、天一号作戦においてアメリカ軍機動部隊の猛攻撃を受けて沈没したのですが、その様子が一般市民に伝えられるはずもなく、すずが大和沈没を知ったのは5月、海軍病院に見舞いに行った際に聞かされたからでした。

 戦時中、そして軍港の町である呉に住んでいても戦争の様子は市民には一切と言ってもいいほど伝わっていないのもリアルでした。

 

 そして一言「登場した」と言っても、それだけの言葉で済まされないのが、この記事を読んでもよくわかります。

news.mynavi.jp

 >そんなこうの氏と監督の執念が感じられるエピソードのうち、もっとも鮮烈だったのが、呉の港に戦艦大和が入港する一コマに関するトークだ。昭和19年に大和は入港しているのか? 片渕監督は同年の呉港の軍艦の出入りを全てチェックしデータ化した結果、劇中のシーンに一致するのは昭和19年4月17日でしかありえないことを突き止め、当日の天候、気温、遠方の視界などを調べあげ、そのコマが実にリアルに描かれていることを確信する。そのことをぶつけられたこうの氏が「一言調べました」と返したというからたまらない。<

 

 

失われる「普通」、そして「居場所」

 印象的なシーンはやはり出征前の別れに来た幼なじみの哲がすずのところに訪ねにくるシーン。

 艦隊勤務の哲は明日にも戦死するかもしれない身。死が身近に迫っている哲は、すずにこう伝えます。

 

「じゃけえすずが普通で安心した」

「すずがここで家を守るんも、わしが青葉で国を守るんも、同じだけ当たり前の営みじゃ」

「そう思うてずうっとこの世界で普通で…まともでいってくれ」

「わしが死んでも一緒くたに英霊にして拝まんでくれ」

「笑うてわしを思い出してくれ」 

 

“普通”のすずで居てくれ、と願う幼なじみ。
しかし、かつてあった日常と同じだった“普通”は残酷に奪われていきます。

 

 海軍病院へ見舞に行った帰りに空襲に遭い、時限爆弾によってすずは右手を失った。そして晴美を失った。同時に、花や海や船や周作を描いていたすずの小さいながらも美しかった世界は色あせて歪んでいきます。(ここは漫画のほうが顕著なんですが、右手を失ってからの場面、背景がすずが左手で描いたようにずっと歪んでいるんですよね)

 

 しかしなにか悲痛な叫びがあるわけではないです。(もちろんイコール悲惨な出来事が起きてもへっちゃら!という鋼のメンタルなわけでもない)右手を失ったあと、すずを包んだのは諦観でした。自己をまるっきり放棄しちゃったわけです。「喪失感」が生々しいほどリアルで、だからこそ痛々しい。

 

「この国から正義が飛び去って行く

暴力で従えとったいうことか

じゃけえ暴力に屈するということかね

それがこの国の正体かね

うちもしらんうちに死にたかったなぁ………」

 

 玉音放送を聞いた後、すずが段々畑で号泣したシーンの独白。あのおっとり可愛いすずさんの胸の内から「死にたかった」という言葉が出てきたのがショッキングでした。

 

 

 でも「夕凪の街 」の原爆の被害に遭いながらも生き残ったことに後ろめたさを感じながら生きていた皆実のように(注、戦争を体験した人から「自分は生き残った」のではなく「生き残ってしまった」という言葉をよく聞くので、残酷なほど理不尽な死は「ここで生きる」という「居場所」ごと根こそぎ奪っていくのかと思ったり。

 自分の祖父母も戦争の体験者ですが「なぜ自分が生き残ってしまったのか今でもわからん」「生き残ってしまったからには死ぬ気で生きてきたけどそれが正解ともわからん」とよく言っていました。

 失われたのは住居や大切な人々、家族という物理的なものたちだけではなくて、「自分がそこで生きていてもいいという精神的な居場所」の面もあったんじゃないかと。

 

 私が一番、ゾッとしたというか、何とも言えない感情に襲われたのは、すずの近所のおばさんのエピソードです。終戦後、おばさんはすずに淡々と打ち明けます。 

「8月に隣保館の横で兵隊さんが行き倒れとったじゃろが。どうも4月に陸軍へとられて広島へ行ったうちの息子じゃったらしい。…自分の息子じゃと気づかんかったよ、うちは」 

 この場面、おばさんの表情は視聴者には見えません。原爆によって服も皮膚もどろどrろに溶けて、きっと母に会いに自力で呉まで戻ってきただろうに、身元もわからずに母にも気づいてもらえず、その他大勢と共に燃やされた「行き倒れの兵隊さん」が自分の息子だとわかってしまったおばさんの心情は、どのようなものだったんだろうか…。

 

注)「夕凪の街 」

同じこうの史代が描く「夕凪の街 桜の国 」の全編の話です。こちらもすごくいいのでおすすめ。

https://www.amazon.co.jp/%E5%A4%95%E5%87%AA%E3%81%AE%E8%A1%97-%E6%A1%9C%E3%81%AE%E5%9B%BD-%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-%E3%81%93%E3%81%86%E3%81%AE%E5%8F%B2%E4%BB%A3-ebook/dp/B009DYODPM/ref=sr_1_8?s=books&ie=UTF8&qid=1479903996&sr=1-8

 

 

「日常生活を描く」ということ

 前にも書いたのですが、テーマは戦争であってもあくまでもこの作品は浦野すずと北条家の日常を描いた作品だと思っています。後半で戦争が残していったものは計り知れないけれど、それが重々しく響くのはやはり前半のち密なまでの日常描写があってこそだと思うし、徹底的に行われていた時代考証もそれ自体が目的ではなく、あくまで「登場人物たちがいる世界」に臨場感を持たせるための手段。

 「普通なこと」「当たり前なこと」って「人は世界観のどこを見て感じるのか」となったときに、そのキャラクターが生きている世界が自分たちとリンクしていて、それに共鳴できたときに強く感じるものだと私は思っているのですが、その観客側がぐっと引き込まれる仕掛けがあちこちにちりばめられていると思います。

 前半でも描いたのですが、「生きること」を描くにおいて「生活」の様子を見せるのは必要不可欠なわけです。生きている時代は違えど、すずや周囲の人々たちの生きる様子を見て、抱える感情を感じて、「リアリティ」を感じられるのはすごいことだなと。

 

 ラストですずと周作が広島を訪れた際に、母親を亡くした孤児を拾って帰路につくのですが、漫画でのそのときのモノローグがこちら。

 

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 この物語が始まる前に「この世界のあちこちのわたしへ」というモノローグが入ります。これどういう意味なんだろう?って思ったんですが、これ見てなんとなくですが納得しました。

 

 ありえないほどの絶望が重なる中でも、残る人はいるし残るものもある。それを支えに前へ前へと積み重なって、生きていく。それはすずさんだけじゃなくて、時代を問わず『絶望』や『困難』から生き残ってきた人たちはそうやって連鎖を繰り返し生きていっている。変わっていく世界でも変わらないものもある。絶望があっても愛を忘れずに生きている人だっている。そういう『日常』『普遍的な生活』を最後まで書いていたのがこの作品じゃないかなと思います。

 

 

 長々と感想文を書きましたがすごくいい映画だったので気になる人はぜひ!

 

 お粗末様でした。

ありがとうヴァンガードG

とうとう最終回を迎えました、ヴァンガードGストライドゲート編。

一番衝撃だったのは直前に発表された制作陣が一新するということでした。

もちろん新しいスタッフさんたちが手掛けるNEXTも楽しみなのですが、唯にゃんやトムスさんの作られる世界が好きだったので寂しさもあり…。

なので最終回の感想もかねて、自分がGで好きだったところを上げていきたいと思います。

 

といっても一言に尽きるともいえるんですけども。

完成度の高いストーリー

自分がGが好きな理由はもうほぼこれだと言っても過言ではないです。

こんなに丁寧に書かれた作品を二年間も追いかけられたのは本当にうれしい。

その具体的な例をこれからあげていきます。

 

 

トライスリーの変化と成長

物語の主軸ともなるクロノ、シオン、トコハ。はじめの頃は喧嘩ばかりしてドライスリーなんて言われてましたが、回を重ねることで絆が深まり、馴れ合いじゃない、本当に信用しあえるチームとして成長してくのが本当に丁寧で、尊かったです。

仲間だからってすべてを打ち明ける必要はないし、全員が全員同じ思想を持っていないといけないわけじゃない。

クロノにはクロノの、シオンにはシオンの、そしてトコハにはトコハのそれぞれの事情や正義があって、個人の主張や正義に介入することはないけど、お互いの意志は尊重し、かつ自分の意志も主張し、そのうえでチームとしての団結力はあったトライスリーを見て、コミュ力ってこういうのを言うんだなとしみじみと感じました。

 

クロノ、シオン、トコハそれぞれ経験を経て成長していったわけだけど、一番著しいのはやっぱりクロノ君じゃないのかなと。

はじめの頃は孤独だと思ってて人と関わることを避け、将来の夢は自立で一人でも生きていけると思っていたクロノ。

それがヴァンガードを通して色んな人たちと関わるうちに、人とファイトして分かり合うのが楽しいということ、そしてなにより自分自身の秘めたる可能性に気づけたこと。これがぐんと成長したところだなと思います。

 

最初の頃はミクルさんにも迷惑かけたくないから、すぐにここを出ていくつもりだと、自室の棚には何も置いていなかったクロノが、最終回では今までの思い出のグッズや本、カードや写真で賑やかになっているのが胸に来ました。

クロノ君の空っぽだった心は二年をかけてこんなにもいっぱいになっていったんだなぁ…。

 

 

大人が活躍するアニメは神アニメ

上に尽きます。責任を取るのは大人の役目だとクロノたちがユナサン支部に突撃するのを反対したドラエンのクランリーダーたち、もし失敗したら君たちが傷ついたら?と諭しながらも憎い演出で背中を押した大山支部長、クロノを引き取り女手一つで頑張っているミクルさん、クロノがヴァンガードをやめようか悩んでいるときに厳しくも優しくアドバイスしてくれたシンさん、シオン坊ちゃまをいつ何時でも支えていた首都高の狼こと岩倉さん、みんなの楽しいヴァンガードを守るという信条をどんな時でも曲げなかったマモルさん、そしてクロノたちが進めるように陰で暗躍していた伊吹……下手に出しゃばらず、かといって無能化にもならず、おいしいところをちゃんと押さえて活躍する大人陣。大人が活躍するアニメは神アニメ。

 

活躍する、というのは決してプラスの方向だけのことではなく、その最たるものが明神リューズ。彼は大人というよりかは精神はあの子供の頃のままで止まってそうな気もしますが。

彼は「この世界から争いが消えることはない。だからみんなが幸せになるには幸せな夢を見続けるしかない。」という極論に達してしまった、そして知恵があるばかりにそれを実行しようと思えば出来てしまう男だった。

世界が幸せになるにはどうしたらいいのか…と突き詰めてしまう言わば優しすぎて、また独善的な人間だったなと思いました。でもあそこまで自分の主張を貫くキャラはいっそ清々しかった。

 

 

人間はそんなにすぐには変わらない

カードファイトで負けた場合、大抵は改心するパターンが多かったんですけど、ファイトに負けたからって簡単には個人の性格や主張は曲がらなかったのがGの面白いところだった。

ドッグトレーナーがクロノに負けたとき、タイヨウはクロノにつくどころかドッグトレーラーに感情移入して付いていった。リンちゃんはトコハに負けてもあの性格のままで、東雲もシオンに負けても改心するどころかますます情熱に火がついていった。神崎支部長も負けたからってあの支部長っぷりが最終回まで消えることはありませんでした笑

 

また「負け」は必ずしも自身を否定する負の効果だけを思っているわけではないのもGの面白いところだと思います。

カムイ戦や伊吹とのファイトで勝つことで自身の成長を示したクロノ、責任が取れないからとヴァンガードをやめるといった時にクロノと本音でファイトしあい自身の本当の気持ちに気づけたシオン、ふさぎこんでいた時にリンとのファイトで目を覚ますことができたトコハ。

また変な言い方すると「負け」の描写が上手いと思うんですよね。ファイト描写とファイトの後にファイター同士に何が生まれるかが重点に描かれているから、勝ち負け自体にはあまり目線がいかないようになってると思っています。

 

良くも悪くもファイトを一回しただけじゃ人の性格は変わらない。そういう意味では「勝ち負けだけがすべてじゃない」を地で行っていたと思います。

 

 

容赦なく盛り込まれる闇の要素

そして朝アニメらしからぬ盛り込まれる闇要素。何が闇って何が良くて何が悪いかと一概に言い切れないところ。そして曖昧が故にリアル感が漂っていたところ。

クロノのポイントはく奪事件、タイヨウのユナサン支部での事件、シオンのお家騒動、ヒロキの過去、アムの罪、そしてリューズのあれそれ。

クロノのポイントはく奪事件は不正をした側がもちろん悪いのだけど、手を出した以上加害者と見られても仕方ないともいえる行動をとってしまったクロノ君が、クロノの性格がわかるが故に歯がゆかったし、シオンの家はく奪はリアタイ当時の葬式っぷりは半端なかったです。

 

そしてヒロキの過去については演出が完全に深夜アニメ。弱いからこそ何か外部の絶対的な何かにすがりつきたくて、その結果が自分の正義に固執する守山ヒロキなんだろうな。ヒロキが守っていたのは世界の平和ではなく自分自身の精神的な平和だったんだ…

 

アムは幼少期に両親が植物人間になってしまい、誰も信じる人がいなくなってしまったが故のあの一連の行動なんだろうなと思うと、哀しい人生だったんだろうなと思うし、早いうちに目が覚めて改心出来てよかったと思う。

でも可哀想な背景があるからって許されるのかというとそういうわけではなく、シオンは毅然とした態度で向き合っていたし、アムの罪が許されたわけじゃない。

でもだからこそ諦めちゃいけない。許されないからこそ、償わなくてはいけない。アムの罪を拾ってくれたのが本当に感無量でした。

 

そしてリューズ。最終回を見てリューズへの裁定は文字通りの「生きて償え」なんだなと思いました。リューズが忌み嫌っていた争いも悲しみもある世界でまた生まれ直すこと。またクローンで自分の知恵を映して生まれ変わった時とは違い、今度は本当の意味で死んでるわけだから、今までの彼の、文字通り自分の人生を賭けて貫いていた意志や彼自身の人格が無にかえったのが寂しいというか、謎の虚無感にとらわれました。もう二度と「明神リューズ」はライブと再会することも、償うこともできないんだな。

 

 

聖書との関連性

聖書との関連性が随所にちりばめられていて深読みオタクにとってはとても楽しかったです笑

シオンのファイトの時に、彼のファイトの行く末を暗にほのめかすように現れたシスティーナ礼拝堂にあるミケランジェロの「楽園追放」、伊吹が神崎支部長に捨て台詞として残された「あなたは塵だから塵に帰る」の句。

そして東雲ショウマ。彼は一貫してシオンをほのめかす楽園の蛇みたいなやつだったなぁと。

また最終回のリューズに下られた裁定も聖書になぞられてるんじゃないかなと思いました。聖書にとっての救いは神の怒りから救われることで、罪による報酬はすなわち死。そして、聖書の中で、救いが起こる三つの方法の定義の一つに「新生によって示される救い」っていうのがあって、福音を罪人が信じた瞬間に神を信じる心を持って生まれ変わるっていうのが当てはまるんじゃないのかなと。福音は差し伸べられたクロノの言葉。その言葉を信じたからリューズは新しい生を得たのかなと考えています。

 

 

積み重ねによるカタルシス

これは物語のすべてとも言っても過言ではないので例を挙げるとそれこそキリがないのですが、自分が好きなのはやっぱりカムイさんと伊吹ですかね。

ふたりについては前に長々と書いてるので貼っておきます笑

tukishimax.hatenablog.com

tukishimax.hatenablog.com

今まで積み重ねてきた描写がカチッとはまる瞬間が最高に気持ちよくて胸がいっぱいになりました。最終回のクロノ杯はもう涙が無意識に出てきました…。

 

Gの物語は1期からずっと、ヴァンガードは楽しいもので、それによって人と人が繋がって世界が広がっていくという前向きなメッセージを一貫して謳っていて(時々唯にゃんの性癖も入ってたけど笑)、ぶれなかったのがすごいと思います。

 

 

 

細かいところを上げると本当にキリがないので笑 これまでにしておきます。

本当に丁寧で熱量を持ったアニメだったと思います。二年も追いかけられて幸せでした。

 

 

Gが始まった当初は色んな憶測でヘイトや叩きがあったけど、それを二年間にわたり、結果的にそれらを感動や感謝や労いの言葉に変えていった唯にゃん及びスタッフの方々には本当に感謝しかないです。

 

はじめはヘイトを溜めてた層も「あれ?Gって面白いんじゃ?」と思わせ、結果胃袋を掴んでいき、今の無料配信で今まで離れていた人たちにも「Gってこんなに面白かったの?何で自分今まで離れてたの?」とまで言わせることが出来る作品はそうないと思います。

そもそもGでも描かれているように、一度ついた印象は負の感情なら尚更払しょくするのはなかなか難しいです。それこそ奇跡が起こらない限り。そんな奇跡をGは起こしてたんだぁと思うし、それは奇跡ではなく、唯にゃん及びスタッフさん方の熱量によって引き起きた必然だったんじゃないかと今は思います。

今まで追いかけて、応援し続けてよかったと、たくさんのものをもらえたと思える作品に出会えて、Gを好きになってよかったと心から思います。

 

 

改めてスタッフの皆さま本当にお疲れ様でした。

素敵な作品を本当にありがとうございました。

 

 

 

 

カードファイト!! ヴァンガードG ストライドゲート編 第45話感想

ヴァンガードGストライドゲート編45話「機械仕掛けの神」の感想です。

一言でいうと伊吹コウジの集大成のような回でした。

 

伊吹VSリューズ

招かねざる異分子伊吹と明神リューズとのファイト。

リューズは伊吹が自分のイメージの力が及ばなくなっているのは東雲の仕業だとわかっていたみたいで、思わぬ客にも「審判に選ばれてもいない者が、不遜にもこの地に立った罰を与えてやる」と余裕の様子。

ところでリューズは伊吹に対して何度も罪人と言ってますが、伊吹が自分の理想を壊そうとしている=すなわち悪で罪という認識なのか、それとも伊吹が映画でやったことを把握しているのか、どっちなんでしょうね?

 

ファイトの演出も熱が入っていて見ごたえがありました。あのリューズ(ギアクロ)の特殊能力発動の演出はかなりよかった…。

 

伊吹の贖罪の道と光

まさかアニメで劇場版伊吹に触れてくるとは思わなかった。今までほんのり匂わせていた程度だったのに、黒伊吹が出てきて変な声出ました。

伊吹が昔何をしたのかは映画を見ましょう!

 

『かつて俺は、取り返しのつかない罪を犯した。すべてを憎み、ヴァンガードを滅ぼそうとした。罪の重さに耐えかね、世界中をさまよっていた時、新導ライブと出会い、ヴァンガード、世界の危機を知った。これは運命だと思った。罪を償えと、ヴァンガードが俺に与えた贖罪の機会。ギアクロニクル。これが俺の運命。』

 


「俺がやります。あなたが止めても俺がやる。俺が、俺がやらなければいけないんだ」

 

伊吹はてっきりライブに頼まれてギアクロを渡したりしていたのかと思っていたので、自分から必死に申し出ていたのが意外でした。

でもそれほどまでに伊吹は自分の罪の重さに耐えきれなかったのかなと思ったり。

また逆に贖罪を受けることで自分がまだこの世界にいてもいいと思えるような、そういう精神的な拠り所を無意識に求めていたんじゃないかなと。

そういう自分自身の罪悪感と、純粋なヴァンガードが好きという気持ちとか色々と重なって、今の伊吹の一連の行動につながっていったんだと思います。

 

でも映画の時の伊吹はヲクシズによって(漫画版の設定がそのまま反映されてるとすればそれこそ小学生の事から)洗脳されたも同然の傀儡状態で、今の伊吹は贖罪が人生そのものになっているから、伊吹コウジの人生の本質はそんなに変わらない、何かに縛られているままだったんですよね。まさにLJ使い。



『俺に課せられた使命は、すべての鍵であり、切り札となる少年を見守り、育て、導くこと。だが最初は、こいつが使えなければ俺が代わりにやればいい、正直そう思っていた。心を閉ざし、自分は一人だと思い込んでいる背中が、かつての自分によく似ていて、腹が立ったのかもしれない。だが、お前は次第に、俺の思惑を超越して自分の世界を広げていった。お前の成長を見守るのは本当に歯がゆく、腹立たしく、そして楽しかった。今はもう信じている。あいつは自らの力で成長し、進んでいけると』

 

そんな伊吹の人生の中で一番の想定外だった出来事は切り札となる少年、新導クロノを見守っている間に情が芽生えてきたこと。今まで贖罪のためだけに生きてきたと言っても過言でもないような伊吹の中に、入りこんできた人間らしい感情。伊吹の表情が回を追うごとにだんだんと柔らかく、人間らしくなっていったのはそういう伊吹自身の感情の変化が大きいんじゃないかな。

(クエストの時のスタゲ支部でも伊吹もあの時点でデレマックスだったから、あの微笑も慈愛からくるものだったのに当のクロノは「なに笑ってやがる(-"-)」と反応してたんだと思うと、両一方通行っぷりにじわじわくる)

 


「そのための道を、俺が切り開く」

それ踏まえてのこのセリフですからね。

今までは贖罪のためだけに生きてきたような伊吹が、贖罪とはまた別に、他でもない自分自身の意志で新導クロノの行く道を切り開く役目を果たそうとする。

もうAパートの時点で涙腺がやばかったです。

 

リューズの「他人を解放しようとも自分自身は縛られたままだ」っていうのもその通りだし、それこそ伊吹は承知の上だったのだろうけど、自分の意識してないところで心は救われてた伊吹コウジ…

 

 

伊吹の望む世界

リューズとの白熱のファイトの結果、伊吹はトリクリであえなく負けてしまいます。

リューズの攻撃を受けて謎のイメージの世界へ飛ばされる伊吹。

隣をかけていくのは、かつて本当に楽しかったころの思い出の象徴でもある小学生の櫂トシキ、三和タイシ。そして二人の後を追って走っていく小学生の頃の自分。

そして新導クロノの今までの成長の様子がイメージとして現れます。

 

『ああ、そうか。きっとお前はこうやって、未来を進んで行くのだろうな。
できることなら本当の未来で、この光景を見たかった』

 

伊吹は東雲のいたずらによってリューズの描く理想の世界のイメージを受けない体になっています。ということは、この伊吹が思い描いている世界は他でもない伊吹自身が真に望む世界なんですよね…。

心からの望みが「クロノが成長する光景を見たかった」ことなの本当伊吹自身の欲がなさすぎというか、心情が完全にお父さんで切ない。

そして伊吹のイメージする成長した新導クロノ図がイケメン過ぎて。やっぱり伊吹のイメージ力は伊達じゃなかった。

 

 

伊吹の使命

「だが、俺が今すべきことは、お前に未来への鍵を渡すことだ。

一瞬でいい、起きろ!クロノ・ドラン!!」

 

そう叫んで掲げたのは、以前クリスに頼んで作ってもらったクロノ・ドラン専用の目覚まし器。どういう理屈なのかはよくわからないけど、ギアースに蓄積された新導クロノとクロノ・ドランの波長データを抽出、解析したものらしい。

伊吹がボタンを押すと波長が起き。クロノ・ドランは目を覚まして無事にクロノのもとへと帰ることが出来ました。

 

新導クロノが未来に進むための懸け橋となること。

自分が以前壊しかけたこの世界に希望の道しるべを示すこと。

それが伊吹コウジの使命であり、羨望でもあったんですよね。

 

伊吹は世界を救う救世主にはなれなかったけど、一人の孤独だった少年の道を切り開く鍵の役割して、今度もクロノ・ドランを覚醒させるために体を張ってクロノの道を切り開いたから、そういう意味では救世主だと思うよ!!もっと自分褒めてあげて!!

 

 

 

 

45話は伊吹コウジ回といっても過言ではないほどの最後までチョコたっぷりな回でした。唯にゃんが雑誌で「伊吹に惚れ直すかも!?」ってハードルあげてくるから期待半分不安半分だったけど「誰がここまでやれといった!!ありがとうございます!!」状態でした。頭が上がりませんホント。

 

罪を犯したキャラがメインに据えられたとき、どう扱うのか、どうやって話を持っていくのか、かなり難しいところだと思うのですが、それこそ1期のころからじっくり描いてくれたからこその今回の神回なんだろうなと思います。

伊吹はわかりにくいだけで、いつも真剣にヴァンガードに向き合っていたし、そんな性格だからこそコミュ障でも皆信用してくれたり力を貸してくれたりするんだろうな。と改めて考えさせられる回でした。

 

 

 

追記:ところでクロノ君が冒頭で丁寧に「必ずみんなで帰ってこよう」って強調してたせいでフラグにしか思えないんですが、帰ってこれない第一候補が伊吹なのがもうだめ…ユニットにダイレクトアタックされて気絶しちゃってるけど(まさか死んでないよね?)ちゃんと帰ってくるよな…?EDの2期パートに伊吹がいないのも何だか不安になってきたぞ…

エリザベート~愛と死の輪舞~ 感想

 現在宝塚の宙組で公演されている「エリザベート~愛と死の輪舞~」を観に行きました。元はウィーンで誕生したミュージカルですが、今から20年前の1996年に初めて日本で宝塚版として上演されました。今回は20周年としてかなり気合が入っているのを感じました。自分はその後母から頼まれて2014年verの明日海りお主演の方の円盤も買ったのですが、そちらも宝塚100周年記念の時のだったのでか、クオリティが半端なかったです。

 この感想文はどちらかというと「エリザベート~愛と死の輪舞~」という作品の感想なので演者さんについてはそこまで言及していません。ご了承ください。

 

kageki.hankyu.co.jp

 

kageki.hankyu.co.jp

 

エリザベートとは?

 このミュージカルはオーストリア皇后、エリーザベトの一生をなぞった物語です。エリーザベトは王家の傍系の次女として生まれました。彼女は自由を愛しのびのびと暮らす父親に強く憧れていて、父と共に街に出かけて奏者に扮した父の傍らでチップを貰う少女に扮したり、乗馬や狩猟を嗜んだりと王位継承とは遠く公務とは無縁だったために、エリーザベトも自由を愛する性格でした。

 そんな生活は姉の見合い相手だった母方の従兄であるフランツ・ヨーゼフ1世に見惚れられ求婚されたことで終わりを告げました。大自然に囲まれた開放的な環境で育った彼女。しかし、運命の皮肉でよりによって彼女はオーストリア帝国皇后となり、最高位に昇りつめてしまいます。

 自由人だった彼女は姑であるゾフィー大公妃が取り仕切る厳格な宮廷の生活、またゾフィーの嫌がらせに耐え切れず、生涯にわたって様々な口実を見付けてはウィーンから逃避していました。

 ゾフィーハンガリーを嫌っていたこともあり、エリーザベトは心を安らげる場所としてよくハンガリーを訪問し、勉強嫌いの彼女が短時間でハンガリー語を習得する程にハンガリーを愛していました。

 また彼女についての逸話としては美貌を保つ為のダイエットも有名です。自他ともに絶世の美女と認識していたので、エリ―ザベトは国の権威を誇る為にも、そして自分の居場所を保つためにも美貌を保っていたとも見られます。ミルク風呂にはちみつパック、特製のシャンプーに食べる物は卵とオレンジのみ。1日に林檎1個という事も珍しくなかった。彼女の体型は死ぬまで保たれ、最晩年を除けば顔も信じられない程若かったそうです。

 皇后でありながら君主制を否定した「進歩的な女性」と評されることもあるエリーザベトですが、一方で皇后・妻・母としての役目は全て放棄、拒否しながら、その特権は享受し続け、莫大な資産によって各地を旅行したり法外な額の買い物をしたりするなど、自己中心的で傍若無人な振る舞いが非常に多かったとも言われています。ここだけ見れば例のマリーアントワネットを連想するのですが、ハンガリー統治に関しては関心と情熱を傾けたため、過去に近隣の大国に翻弄され、さまざまな苦難の歴史をたどったハンガリーが現在平和な独立国家となった礎を築いた人物として彼女は慕われています。

 そして1898年、旅行中のジュネーヴレマン湖のほとりでイタリア人のルイジ・ルケーニに短剣のようなもので刺されて生涯を閉じました。

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「ミュージカル・エリザベート

 そのルイジ・ルケーニが語り手となって始まるのがミュージカル・エリザベート

主点となるのはエリザベートの愛は一体どこにあったのか、エリザベートは何を愛したのか」

 エリザベートは豪華絢爛な宮廷の中では常に孤独でした。(なので現実逃避に頻繁に旅行や訪問に行っていたのですが)そんなエリザベートの生涯の物語を彩るのは黄泉の帝王・トートというキャラクターです。

 黄泉の帝王トートは、エリザベートに一目ぼれして幾度もなく黄泉の世界に誘おうとします。死を帝王と言う擬人化のキャラクター造形、怪しい美しさ、トートの持つ一種の華やかさと非日常感が少女漫画的なエッセンスを出していました。さすが宝塚。

 このミュージカルはある種の暗さがかなりの割合を含めているのですが、同時に少女漫画的なキラキラした部分もある不思議な雰囲気のある舞台でした。

 

 

エリザベートの愛はどこにあったのか

 結論から言ってしまうと、自分の感想としては「エリザベートは死ぬまで自由を愛していた」んじゃないかなと思いました。エリザベートは幼少期から晩年まで、ずっと自由に憧れていた。少女の時に無邪気に「お父さんみたいになりたい!」と言っていた時から、晩年の病院に訪問しに行った時に自分の事をエリザベートだと思っている精神障害の少女に「貴方の命は自由」と静かに涙を流すまで、ずっと一生涯自由を愛し続けた。

 そして死してなお「私の人生は私だけのもの」と高らかに歌い、黄泉の帝王トート閣下と天上に上がっていくエリザベートは、他の死者たちが闇の中で沈んでいるのと対照的でした。

 エリザベートは生涯に渡り自由を愛し、そしてまた死に愛されていました。

 

 

 それにしても気の毒なのは彼女の夫・フランツ・ヨーゼフでしょう。多くの身内をなくし、遂には最愛の妻まで殺されてしまった。しかも、更にこの先にはルドルフ亡き後の皇太子と成ったフランツ・フェルディナントをサラエヴォで暗殺されている。誰かに呪われているとしか思えない程の悲劇の連続だったのです。

 そのフランツ・ヨーゼフは常々語っていたという。「私がシシィをどれ程愛したか、誰にも判るまい。」と。

 

ルドルフの孤独

 トート閣下はエリザベートに一目ぼれして彼女の愛をひたすらに求めていたのですが、何故か途中息子のルドルフに脱線します。そしてトート=死に翻弄され、結局ルドルフは自殺。初めて見たとき「なぜ脱線したし」と思ったのですけど、トート閣下は「死」の象徴とみれば何となく納得いきました。

 作中でも「僕とママは同じ」とルドルフが歌っている通り、ルドルフもまたずっと孤独を抱えていました。上にも書いた通り、エリザベートは育児はせずにずっとウィーンから逃れるようにして旅を続けていたので、ルドルフは愛に飢え、孤独を抱えていた。「この世に休めるところはない」と歌っていたその通りの環境だった。ルドルフはずっといわゆる死の匂い、孤独の匂いを漂わせていて、そこがエリザベートと同じだったのでトート=死がちょっかいをかけにきたのかなと…とんだとばっちりである。

 

 

 

 

 ハプスブルグ家の終焉、不幸に見舞われた皇后の物語を世紀末のウイーンの退廃的な雰囲気、「死」が擬人化された世界、暗く悲しくも華麗な音楽で彩り魅せる宝塚歌劇団の実力はもう言葉にできないです。とてもよかった。初めて観に行ったけど完全に引き込まれました。女性たちに長年愛されているはずだ。

 やっぱりトートのキャラクターの強烈さはすごい。二つの公演もそれぞれ妖しくも美しい人外感と、同時にずっと生きているエリザベートの愛を求めている純情っぷりも明日海さん、朝夏さん演じるトートそれぞれ違う魅力があって面白かったです。舞台のいいところですね。

 まだ見たことない人は是非観覧をお勧めします。と言ってもチケットはそう取れるものでもないだろうし…というひとはまず円盤からおすすめします。題材は暗く死の匂いが濃く漂うものなのに、それを宝塚特有のきらびやかな効果で上手く調和しているのが本当に最高の相乗効果だなと。

 

お粗末様でした。

カードファイト!! ヴァンガードG ストライドゲート編 第37話感想

ヴァンガードGストライドゲート編37話の感想です。

次回予告を見たときからいろんな意味で心待ちにしていました。

期待通りの神回でした。

 

 

 

クロノが戻ってきて、シオンのアパートでトライスリーとタイヨウが今後どうするか作戦会議していると、突然ハイメが現れて南の島へと連れて行かれてしまう。そこはマスターレオンがセレブ向けに貸し出している無人島で、ここなら思う存分ファイトもできるだろうと。所謂合宿回でした。そして

 

「何で水着なのよ!!!!!」

 

ありがとうございます。これを待っていました。

ビキニを恥ずかしがるトコハ最高に可愛いですありがとうございます。

(トコハの反応を見るにいきなり連れてこられたわけだから水着とかの準備もまったくないわけで、そう考えると少なくともT3とタイヨウの水着はリゾート側が貸し出してたものって考えられそうですがどうなんでしょうね?)

 

消えたクロノジェットとネクステージ

前回リューズに十二支刻獣をすべて奪われたクロノですが、なぜがクロノジェットドラゴンも、ネクステージも真っ白になっていました。タイヨウ曰く「十二支刻獣が捕られた影響だろうって伊吹さんが…」だそうですが、クロノジェットと十二支刻獣は何か関連があるのか…?それともいつぞやのデリートエンドみたいな方式でクロノジェットもネクステージも消えてしまったのか?ここはまだ多く謎が残っているように思います。そもそも十二支刻獣が(おそらくクランはギアクロなんだろうとは思うのでそれを前提に考えてるのですが)ギアクロの中でどういう位置づけなのかもよくわからないので。

 

カムイさんとミサキさん

柄にもなく(失礼)海辺で黄昏ているカムイさん。クロノが危険な目に遭っていた時に自分が何もできなかったことを悔やんでいた様子。(でも正直あの怪奇現象を一介の少年が何とかできるのかといえば無茶なので、カムイが落ち込む必要はないんですが、そこがカムイらしくもある)

そんなカムイに「図体ばっかでかくなって。ちっとも変わらないね」とやってくるミサキさん。

「あんたは昔からそう。一番年下なのに誰よりもみんなのことを気遣ってた。誰よりもがさつそうに見えて…」

本当に最初から見ていたミサキさんだからこそ言えるセリフにぐっと来ました…

そう、カムイは昔からそういう奴なんだよなぁ。Gになって可愛い後輩もできて、元来の性格に加味して明確に守る者、守りたい者ができたって感じなのもひとしお。

正直「合宿か…」「懐かしいわね」のやりとりで既にじ~ん…ときていました。カムイとミサキさんにとっては合宿は楽しくもあり、同時に懐かしいものでもあるんだなぁと思うと、なんとも言えない切なさみたいなものを抱いたのでした。

 

 

トライスリーそれぞれの思い

ハイメの計らいによって山の上に置かれてしまった食材を取りに山登りに出向ことになったクロノ・シオン・トコハ。

「今クロノたちに必要なのは三人で話す時間なんだ」

ハイメおいたん流石すぎる。そういえばずっと三人バラバラに行動してて情報共有すらもしてなかったもんなぁ。

 

クロノの思い

 

「最初は俺、リューズの言うこともちょっとはわかる気がしたんだ」と告白するクロノ。まあそうだろうな、とは思ったよ。割と素直についていってたし。


「痛みや争いをなくしたい、みんなに笑顔でいてほしい
完全な未来ってやつで、本当にみんなが笑顔に幸せになれるなら」

 

「痛みや争いのない、完全なる幸福な未来」とリューズはよく繰り返してはいました。字面だけ見れば反論する理由は見当たらない、まさに理想的な世界。でもこれは行ってしまえばただの理想論「にしかすぎない」んですよね。肝心の具体的な案やが見えない。そして、リューズがどんな風な手を使って完全な未来を創ろうとしているかというと…


「でもあいつは誰かの幸せを平気で犠牲にする
そんなことして掴んだ未来で胸張って生きられるのかって
だからリューズとは一緒に行かない
俺は俺の未来のためにリューズと戦う」

 

そう自分に言い聞かせるかのように決意を固めるクロノ。

自分はリューズ側に行くのもありえそうだなと思ってましたが、クロノが主人公してくれていて安心しました。

 

シオンの思い

 

「何もかも失っても僕が僕でいられたのは二人がいたからだ」

 

このセリフが聞けるとは思わなかった…こっちこそありがとうだよ

綺場家の名誉も、家族も自分の傍からいなくなって、それでもシオンがシオンでいわれたのは、自分のことを信じてくれて当たり前のように傍にいてくれたクロノとトコハだったんだなぁと…


「僕はエース、アムの犯した罪を許すつもりはない
糸を引いているのはリューズや東雲だというのはわかっている
けど僕には彼女たちを救うことはできない」

 

そしててっきりアムのことについてはさらっと流されるのかと思ったのですが、がっつり言及してくれてよかったです。アムの事は好きだけどやったことを有耶無耶にされたらやだなぁ…と思ってたので、シオンが自分の思いをガツンと主張してくれてよかった。

 

トコハの思い

 

そしてそんなシオンの思いを聞いたうえで「アムとルーナは必ず助ける」と宣言するトコハ。強い。


「私はアムもルーナも止められなかった。チャンスはあったのに。そのせいでドラエン支部があんなことになった…何が何でも止めなきゃいけなかったんだ」

 

あの時意地でも二人を止めていれば…あの時こうしていば…そういう時は誰しもあるけど、トコハの場合は、ルーナは精神崩壊し、実の兄や自分の大切な場所が文字通りめちゃくちゃにされてしまったのもあって、ショックはでかいだろうなぁ…(でも正直あそこで止めることができたかと言えば可能性は結構低いとも思うんですが)


「止められなかった私にも罪はある
だから二人を取り戻して一発ガツンと言ってやる!
で、私も二人に謝る!止めてあげられなくてごめんって
だって友達だから」

 

これが安城トコハの決意でした。男前すぎる。最高。

 

安城トコハの友情はこれぐらいじゃびくともしないのよ!」

 

これはたぶんルーナとアムに対して言ったセリフなんだろうけど、何となくT3のことのようにも思えました。今回三人はそれぞれ自分の思いをあらわにして、それが必ずしも自分の都合のいいようなものでもなくても相手の純粋な意見として受け入れて、それを踏まえたうえでチームとして同じ方向を向くことができる。

友情はお互いの主張を認め合うこと。だから意見が違っても三人の友情はこれくらいじゃびくともしない。

自分の意見や考えはちゃんと持っていて、それをまっすぐにぶつけて、それでも尚チームとして一緒の方向を向けるトライスリーのコミュ力の高さに恐れおののく。

 

 

あの時見られなかった景色を今僕たちは見ている

バーベキューして、ファイトして、そして夜に海辺に並んで横になって夜空を見上げながらお互いの将来の夢を語り合う…青春すぎる…

 

「そういえば三人で海に行ったことあったね」
「流星群が見せたいってクロノがね、だけど結局星は見られなくって」
「でも花火は見れた」

 

昔を懐かしむように語りだす三人。あんなに人を寄せ付けず、関わりを避けていたクロノが、ファイトに負けて落ち込んでいるシオンとトコハを励ますために海に連れていって曇天の中、色々と頑張っていた言わずと知れたあの神回のことです。当時も「あの一匹狼だったクロノが…」と胸がいっぱいだったんですが、思えば本当に懐かしい。

 

「あの時見られなかった景色を今僕たちは見ている」

 

そしてこっちが感傷に浸っているときにこういうセリフをぶっこんでくるからもうずるいですよね。

 

あの時まだT3の関係はぎくしゃくしていて、チームとは言い難い面も多くあって…今も完全とは言えないし、それぞれ三人とも大きな環境の変化もあった。けれどちゃんと前には進めている。あの時見えなかった景色を、今、この三人で見ることが出来ている。それは大きな財産だと思います。トライスリーは本当、成長したよ…。

 

 

37話、文字通りの神回でした。T3にもタイヨウにもハイメにも、カムイにもミサキさんにも光しか感じない。おそまつさまでした。

 

 

追記:死ぬほど偉そうな態度でベンチにふんぞり返りつつも、真っ先に伊吹の心配をして、ストライドフォースの塊の在りかが宇宙にあるのを「若干の問題」と表現し、さらに「宇宙」を「そら」と言う厨二っぷりを見て、櫂トシキはGでも櫂トシキだなぁとそっちもいろんな意味で安心したのでした。